2010.06.25 Friday/
◎所得税論議 最高税率引き上げは問題多い
政府税制調査会の専門家委員会が論点整理の形で、税制改革の方向性を打ち出した。
危機的な財政事情を念頭に、社会保障の安定財源として消費税の重要性を強調している。極めて妥当な指摘だ。
反面、所得税改革に関し、所得が増えるほど税率が高くなる累進構造の強化に力点を置いているのは問題だ。
菅首相が言及する将来の消費税率引き上げでは、一般国民の負担が増すため、高所得層への所得課税強化で、一定の理解を得ようとする狙いが読み取れる。
確かに消費税には、低所得層ほど税負担が相対的に高まる「逆進性」が指摘されている。
だからと言って、累進税率の強化につなげて考えるのは筋違いだ。消費税の逆進性の解消は、生活必需品への軽減税率導入などで対応すべき問題である。
所得税は、2009年度の税収が27年ぶりに13兆円を割り込み、ピーク時のほぼ半分になる。
国民所得と対比した日本の個人所得課税の負担率は7%にとどまる。10%以上の欧米を下回り、基幹税としての役割が低下しているのは事実である。
しかし、累進構造を強めたとしても、負担する高所得層の数は限られるため、国の税収全体から見て、増収分はわずかなものだ。
所得税と住民税を合わせた個人所得課税の最高税率は、1980年代には88%に達していた。
「こんなに税金が高いと働く意欲がなくなる」。そんな声に押されて、米国や英国の税制改革に歩調を合わせるように日本でも最高税率が引き下げられた。
現在は50%だが、それでも米ニューヨーク市の47・6%、フランスの48%などを上回っている。
むしろ、今考えるべきは、課税最低限の引き下げだ。日本の課税最低限は標準世帯で年収約325万円である。国際水準に比べてかなり高く、それだけ多くの人が税金を納めていないことになる。
各種の控除を縮小すれば最低限が下がり、より幅広い層に税負担を求めることになるが、国民が広く薄く負担するという税の原点からみてやむを得まい。
専門家委員会は、累進構造を強化する理由として、税の所得再分配機能が衰え格差の拡大を招いたこともあげている。
だが、行き過ぎた累進強化は大衆迎合路線そのものだ。所得再分配を考えるなら、年金や医療、介護といった社会保障政策の充実が先決である。
読売新聞 平成22年6月24日 より全文引用
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よくもこんな馬鹿な話を「社説」として出せたものだと思う。
それほど読売は新聞社として劣化したと言う事だろう。
発行部数が如何に多くても「見識」が優れている訳ではないという証明は、誰かがやる必要性を感じないほど、自明的・自発的になされる。
世の中つくづくそうしたものだと思う。
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§ 大衆なき税制?
読売新聞の世界観は、どこか狂っている。
それが以下の一文である。
消費税の逆進性の解消は、生活必需品への軽減税率導入などで対応すべき問題である。
そもそも「逆進性」とは何か?という点を理解していれば、こんな馬鹿げた論点提示もない。
家計における「生活必需品」に占める割合が、低所得者と高所得者では隔絶している…という事が問題なのだ。
低所得者においては「生活必需品の購入」は「生きるか死ぬか」のレベルに近いのに対して高所得者はその様なレベルにはない。
似た事例を挙げれば、障害者自立支援法で出された「応能負担」と「応益負担」の違いの様なものだ。
障害者にとって介護福祉サービスは「サービス」という選択の余地があるレベルの話ではなく「生きるか死ぬか」のレベルなのだ。
それを「サービス」という「選択の余地のある話」であるかの様に論点をすり替えて「聖域なき構造改革」等と言って予算を削った小泉構造改革と読売の論法は極めて似ている。
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§ 働く意欲がなくなるのは高所得者だけか?
累進構造を強めたとしても、負担する高所得層の数は限られるため、国の税収全体から見て、増収分はわずかなものだ。
「こんなに税金が高いと働く意欲がなくなる」。そんな声に押されて、米国や英国の税制改革に歩調を合わせるように日本でも最高税率が引き下げられた。
「増収分はわずか」だから「やるべきではない」という論法があるとは知らなかった。
もしそんな論法が通るなら、「増収効果はわずか」として高級官僚OBの天下りや渡りによる「中抜き」も大いに認められなければならないが、読売はこれについては批判していないのだろうか?
また、「税金が高いと働く意欲がなくなる」というのは、高所得者だけではなく、寧ろ低所得者の意欲を削ぐ事になろう。
それこそ正に「逆進性」の問題だ。
「働けども働けども、我が暮らし楽にならず」というやつだ。
年間の自殺者3万人という話(無論、その全てが貧困を理由としたものとは言えないだろうが)を読売新聞はどう考えているのか?
また、少子化問題や、学歴と家計の余裕度の関係をどう考えているのか?
今の日本社会が直面している問題に全く向き合っていない空論を展開している読売新聞は本当に「新聞」だろうか?と思わせる一文である。
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§ ご都合主義者が使う理由の第一位
今考えるべきは、課税最低限の引き下げだ。
そしてその理由は?と言うと「国際水準」と言う。
「国際水準」がそんなに有り難いものならば「記者クラブ」という世界に例を見ない談合組織は「国際水準」に従って解体すべきだろう。
「みんながやってる」という頭の悪いガキが言いそうな理由付けで正当化できるのは、読売新聞社の中だけにしてもらいたい。
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§ ご都合主義者が使う理由の第二位
国民が広く薄く負担するという税の原点からみてやむを得まい。
広く薄く負担するとう税の原点には「国民が税負担に耐えられる状態にある」という大前提がある。
言葉面だけを引いて「やむを得まい」とは、教職員を「聖職」と言いながら過大な負担を押しつけている現状を無視しているのと同じ。
心がない言葉・内容のない言葉の使い方をする新聞社というのは、存在自体が悪と言える。
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§ 狂人の言葉
最後は狂ったとしか言いようのないこの最後の一文だ。
行き過ぎた累進強化は大衆迎合路線そのものだ。所得再分配を考えるなら、年金や医療、介護といった社会保障政策の充実が先決である。
その年金を払えず、医療・介護を控えさせ、社会保障が機能しなくなっているのは「低所得」による。
税収不足も正にそこに端を発しているのに、読売は低所得者層に追い打ちをかけるがごとく「課税最低限の引き下げ」を要求している。
完全に低所得者層をリカバリーできない状況に追い込もうとしている。
そういう理性的な事とは別に、もう一つ言わせて貰えば、新聞社ほど「大衆」を利用している者は居ないという事だ。
彼らは政権を批判し、その流れで「世論調査」をし、「支持率が下がりました。どの様に受け止めますか?」とほざき、政府に居丈高に突きつける。
それは「世論調査」という名をもって「大衆の意見」に「迎合せよ」という新聞・TV等のする圧力であるにも関わらず、一方では所得税率については「大衆迎合路線」と批判する。
「大衆」を利用しつつ「大衆」を「蔑視」する読売新聞。
ご都合主義にも程があろう。
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§ 読めない読売の描く未来社会
面白いもので、新聞社は新聞を支えているのが「大衆」である事を忘れ、大衆を保護するどころか、苛烈に税をしぼりとらねば「大衆迎合」と言い始めた。
一体大衆にどんな恨みがあるのか?
良く分からないのは、大衆の貧困化が進めば「生活必需品」ではない新聞なんて真っ先に捨てられる存在であるという事を、想定に入れていないという事だ。
読売が「聖域」としようとする高所得者は、読売新聞を一人で100紙くらい買ってくれる人達だろうか?
だったら確かに「逆進性」は無いだろう。
だが、読売の世界観でもさすがにそんなデタラメな話は登場しない筈だ。(全く自信はない。なにせ読売だから)
それでも読む人が高所得者に限られた状態において、高所得者は新聞社に広告を掲載するだろうか?
仮に広告を出すにしても、大衆が貧困化している状況で、誰がその広告に掲載されたサービスを買うのか?
全く意味不明なのが、読売新聞の未来社会像だ。
尤も、質の悪い記事をばらまいている読売新聞の未来は、国民の未来とは無関係に暗いに違いない。
注)『当プログに対するコメント投稿上の注意』
マスコミ・ジャーナリズム・マスゴミ | 08:27 | comments(1) | trackbacks(0)