2010.07.25 Sunday/
◎ 仙谷官房長官が親米路線?
参院選の投開票日を間近に控えた7月8日、東京・赤坂にある米大使公邸で行われた米独立記念日(米国では4日にパレードや花火など催しがある)のレセプションに仙谷由人官房長官の姿があった。仙谷氏は星条旗模様のネクタイをしていたジョン・ルース駐日大使の横に立って、米国歌を聞いていた。
筆者は今年1月までの4年半、ワシントンに駐在したが、民主党で毎年のように訪米するのは、前原誠司国交相や長島昭久防衛政務官らで、菅直人首相や仙谷氏の姿をみることはなかった。米政府内で「親米派」とはみられていない仙谷氏としては、独立記念日のレセプションに出向くことで「菅直人政権では米国との関係を重視しているとの姿勢を示すねらいがあった」(レセプション参加者の1人)といえる。
菅首相もバラク・オバマ米大統領との初の電話会談で、市民活動家から始めた自らの経歴は、シカゴのコミュニティ・オーガナイザーから出発したオバマ氏と似ており、共感を覚える旨を伝えた。オバマ氏も非常に興味を示したという。
米側としても、鳩山由紀夫前政権との関係が、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題でぎくしゃくしたため、菅政権とは良好な関係を持ちたいとの意向を強く持っていた。その意味で、菅首相や仙谷氏の対応は好感を持って受け止められた。
沖縄の基地問題では、官房長官が重要な役割を占める。普天間移設で合意した橋本龍太郎内閣の梶山静六氏、沖縄サミットを決定した小渕恵三内閣での野中広務氏ら、官房長官が事実上「司令塔」として、政府内の調整や沖縄との折衝にあたった。
その意味で、平野博文前官房長官は力量不足の面は否めなかった。平野氏にも同情すべき点はある。首相である鳩山氏が野党時代、普天間の「県外移設」を公言していたうえ、就任後も基地機能の県外移設にこだわり続けていたため、調整作業は当初から困難だったからだ。
それでも平野氏は名護市辺野古以外に移設の選択肢はないと、早くから鳩山氏を説得すべきだった。鳩山氏が昨年12月までに決断していれば、少なくとも米国との信頼関係は崩れることはなかった。5月に退陣に追い込まれることはなかったかもしれない。「女房役」としての責任は重い。
内閣の一員として、鳩山氏の迷走ぶりをみていた菅首相が組閣にあたって、官房長官人事から始め、平野氏に代えて「重量級」の仙谷氏を起用したのは賢明といえる。
菅氏にとっての失敗は、参院選にあたって消費税問題の重さをよく理解していなかったことと、官房長官とともに重要なポストである幹事長に据えた枝野幸男氏が選挙を仕切るにふさわしい人材ではなかったと見抜けなかったことだろう。9月の代表選で再選されれば、菅内閣において、仙谷氏の役割はさらに重要さを増すことになる。
しかし、参院選での敗北後、首相や仙谷氏は態勢の立て直しに精一杯で、対米関係まで気を配る余裕がなくなっている。5月の日米合意では、代替施設の具体的な建設位置や工法について、日米双方の外務、防衛当局の専門家が「(いかなる場合でも8月末日までに)完了させる」と明記しているが、菅政権は日米合意に対する沖縄の反発が強いことを踏まえ、11月の沖縄の知事選以降に先延ばしする考えのようだ。
これでは鳩山前政権の二の舞だ。仙谷氏がせっかくレセプションまで足を運んでも、具体的な行動を起こさないと米側の信頼を勝ち取ることはできない。
沖縄の基地問題に深く関与した守屋武昌元防衛事務次官の新著「『普天間』交渉秘録」(新潮社)を読むと、沖縄側がいかにタフネゴシエーター(したたかな交渉者)であることがわかる。
守屋元次官は、沖縄・名護の有力な建設業者がワシントンにまで出向いていって、沖縄勤務経験のある国防総省関係者に「名護ライト案」と呼ばれた浅瀬案を伝えたほか、山崎拓元自民党副総裁にも直接会って、自らの考えを説明していたことを明らかにしている。
沖縄問題にも精通していた故諸井虔太平洋セメント相談役は守屋元次官にこう語ったという。
「政府は沖縄に悪い癖をつけてしまったね。米軍基地の返還などが進まなくてもカネをやるという、悪い癖をつけてしまったんだよ。もうそれでは立ち行かないと沖縄の目を覚まさせるようなことを、国はやらなければ駄目だよ」
もちろん基地問題で地元の理解は欠かせないが、そもそも普天間問題とは、住宅密集地から基地を移設することで事故の可能性を少なくし、騒音問題を解消することではなかったか。このまま菅政権がずるずると解決を遅らせると、困り続けるのは普天間周辺の住民である。さらに米国との信頼関係にも影響を与える。
「調整役」である仙谷氏は「逃げ菅」を許してはならないのである。(有元隆志)
産経新聞 平成22年7月25日 より全文引用
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己の周囲数メートルが平穏であればそれでよい…という様な人でなしが、国民全体で共有し議論すべき情報を遮断し「信頼関係」などという聞いた風な台詞を口にする。
或いは、「疑い」程度の話で人をほぼ犯罪者扱いする報道をし、証拠がないにも関わらず延々と2年近くもまるでストーカーの様に執拗につきまとう。
この連中は、ハッキリ言えば犯罪者集団である。
日本国民同士に不信を抱かせ、コミュニティーを破壊し、他人の権利を踏みにじり、「国民」を滅ぼそうとする。
我が国を滅ぼすのはやはりマスコミである。
私はそう確信するに至った。
今日もそんな反日勢力の書いたゴミの様な記事の一つを紹介しよう。
その論調に、如何に「愛」が無いか。
如何に「配慮」が欠如しているか。
ご覧頂こう。
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§ 人でなしが規範を乗り越える「一語」
「もちろん基地問題で地元の理解は欠かせないが」
この言葉に類した言葉は、大手マスコミの口から散々吐かれて居る。
だが、読めば分かる様にこれだけの長駄文の中で「沖縄の事情」に関して具体的に触れられているものは何もない。
ほぼ全編にわたって沖縄からの視点は無い。
全くないのだ。
そして、先の言葉に続くのが
「困り続けるのは普天間周辺の住民」
となる。
こうなる他ない…という何か納得できる話を一つもせずに、「沖縄だけの問題」である事が当然の前提であるかの様に語(騙)る。
人でなしクズ野郎の論説は、この様に狂った前提から話を進めていく事に特徴があるが、そこはグッとこらえて「仮に」辺野古に移転した場合を考え見たらどうなるか?
今度は
「困り続けるのは辺野古周辺の住民」
になるのである。
何故か?
確かに辺野古移設案では基地が沖合に移動するので、住宅地の直ぐそばを航空機が飛ぶという事は減るだろう。
だが、それで「危険は去った」等という事はあり得ない。
辺野古の人々は「普天間の人々の命が大事と言って移設するというが、だったら我々の命は大事ではないのか?」と言うようなことを大田昌秀氏(元沖縄県知事)に訴えたそうだ。
どういう事か?
それは、在沖米軍関係だけで年間800件以上も事件・事故が発生している点に現れている。
1年間だけ特別にこうした事態になっているのではなく、ずっとだ。
多い時には1,000件を越えた。
さして人口も大きくもないあの島での話だ。
要するに、沖縄で在沖米軍は「やりたい放題」なのだ。
「地元の理解が欠かせない」と思うならば、この点をクリアする方策が論じられていなくてはならない。
だが、結局「この一語」はそうした課題を抜きに海兵隊基地を沖縄に「押しつけ」る為のちょっとした「踏み台」としてしか使っていない。
これほど人を踏みつけにしている台詞はないのである。
マスゴミである産経新聞は、そうした点には一言も触れずにこう締め括って終わる。
「さらに米国との信頼関係にも影響を与える」
日本の本土の為に存分に沖縄を犯させておいて何の信頼関係か?
というか、日本と沖縄との信頼関係にこそ影響を与えているという事が何故分からないのか?
正直、本当に分からないのだろう。
普通ならば人として心が痛む筈だが、読んでみれば分かるとおり、沖縄不在が徹底している。
これがどういう状況を生むか?
この馬鹿新聞には分からないのだ。
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§ 産経新聞は中国の手先
産経が中国を書く時は、領土欲剥き出し、覇権への意欲剥き出しの強欲国家である。
それが真実かどうかは兎も角、産経が想像する通りのそのまんまの中国を貴方が率いて、米国や日本に対抗する為にはどういう手を打つか?
答えは簡単だ。
日本と沖縄の間に深い不信感を植え付けて分断し、沖縄を日本から切り離して中国に取り込む手を打つだろう。
そうすれば台湾を攻撃しなくても手に入れられるし、アメリカの軍事的プレゼンスの盾として日本を取り込む道が開ける。
そうでなくても、太平洋上でアメリカに対抗できる。
つまり、アメリカの軍事的プレゼンスをもっと東の方へ後退させる事ができるのだ。
何故そうなるか?
そうしたミッションを遂行するならば、中国自身が人を送り込んで沖縄の反日感情、反米感情を煽る作業が必要だっただろう。
だが、間抜けな日本と傲慢なアメリカが、それを自らの手でやってくれている。
中国としてやるべきは、逆に沖縄に「深く同情」し、内々に慰撫し、機が熟すまでに軍事力の質的量的向上を続ける事だ。
それだけでよい。
そうすれば、沖縄は日本と日本人に失望して、中国の勃興と共に中国に頼ってくる可能性が高まるだろう。
そうでなくても日本とアメリカへの不信感いっぱいで、万が一有事になっても、日米に対して非協力的に終始し、軍事の停滞を招いてくれるかもしれない。
そういう「噂」が流れるだけでも、中国には利益になる。
仮に沖縄をとりこめたにしても、領土までは要らない。
領土にしてしまうと、かえって国際社会の反発を招く。
沖縄を形式上は香港の様に中国の「一国二制度」の下に生きる「疑似独立行政単位」にしておければよい。
焦る必要はないという事だ。
そうすれば、日本を西と南から圧迫して萎縮させ、その隙に中国の影響下に沖縄が入ったついでに、台湾に孤立するのを恐れさせれば、台湾が手に入る。
そうすれば、太平洋上に海軍を進出できる路を確保できる。
アメリカ本土が戦場にならないので存分に出来るアメリカと、戦場になる可能性がある中国では、状況は圧倒的にアメリカ優位である。
この状況を覆すには、日本を大いに揺さぶり、かつ海軍力を太平洋上に進出させる環境を作らねばならない。
日本は脅し続ければ、産経新聞などというアホな新聞は中国に尻尾を振るか、己が沖縄を中国に追いやった事を攻撃されるか、厚顔無恥に騒ぎ立てるか、…とにかく日本国内を引っかき回してくれるだろう。
馬鹿新聞はここでも中国に利をもたらしてくれる。
頭が悪すぎて中国の利益を図っているのか?
実は「保守」の様な顔をして中国の尖兵なのか?
産経の心底は蓋を開いてみないと分からない。
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§ 愛国者=愛「国民」者
しかし、その辺りの区別は日本人としてつける必要はない。
こんな間抜け馬鹿が新聞を名のっている事が問題なのだから、潰してしまった方が早い。
潰す理由はある。
日本人の和合・共同体意識を分断し、日本の資産をアメリカに売り渡し、社会を貧困に陥れるのに大いに貢献し、日本の民主主義をねじ曲げた罪という大罪が目白押しだ。
無論、産経だけではなく、読売、朝日、日経、毎日も同罪。
日本の馬鹿マスコミが潰れれば、結果的には大いに喜ばれる事になる。
悲しまれるとしても一時で済むだろう。
頭の悪さとは、他人への同情の無さであり、愛国者とは、民主主義国家においては愛「国民」者である。
同じ国民である他人に、己の都合のために悲惨な状況を押しつけて顧みないのは、非国民である。
アメリカから独立できない精神を、沖縄に対する害悪という形で押しつけ続ける者が愛国者である訳がない。
この偽物の愛国者は、本来なら右翼の攻撃対象の筈だが、日本の右翼は馬鹿の集まりの様で、産経の様な間抜け馬鹿に煽動されて、本来支持すべき者を攻撃している始末だ。
哀れもここまで行くと滑稽過ぎて腹立たしいが、馬鹿とはこうしたものだ。
だが、馬鹿でも危険である。
今後の日本は、かつての大日本帝国の時の様に言論総馬鹿状態によって滅ぼされない様に、ゴミの様なマスコミを整理(ぶっつぶ)して正確な情報を得、我々日本人のために思考する力を取り戻さなくてはならない。
注)『当プログに対するコメント投稿上の注意』
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