スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

<< 対米隷属・属国化の為に国民を脅す「だけ」の読売新聞 | main | 何故新聞はこんなに偉そうなのか? 〜読んで馬鹿になる 北国新聞〜 >>

村木厚子 厚労省元局長「無罪判決」

JUGEMテーマ:ニュース


◎ 厚労省元局長に無罪判決


 厚生労働省の元局長が郵便の割引制度をめぐり、うその証明書を作成した罪に問われた事件で大阪地方裁判所は、元局長に無罪を言い渡しました。

 厚生労働省の元局長、村木厚子被告(54)は、障害者団体向けの郵便割引制度をめぐって実体のない団体が制度の適用を受けるため、うその証明書の発行に関わったとして虚偽有印公文書作成などの罪に問われました。
 
 これまでの裁判で、検察は国会議員の口添えを受けて部下に証明書の作成を指示したと主張したのに対し、村木元局長は「身に覚えがない」と無罪を主張し、厚生労働省の関係者らも国会議員の口添えや元局長の指示を認めたとされる捜査段階の供述を覆して関与を否定する証言が相次ぎました。
 
 さらに裁判所が関係者の供述調書について「検察の取り調べに問題があり、信用できない」などとして、調書の大半を証拠として採用せず、裁判は異例の展開をたどりました。
 
 判決の言い渡しは、10日午後2時から大阪地方裁判所で始まり、横田信之裁判長は冒頭、村木元局長に無罪を言い渡しました。詳しい判決理由は、このあと法廷で示されることになっています。

NHK 平成22年9月10日 より全文引用

 
意図せずしてこのブログに来た方へ

警告!

☆更新は不定期な為「RSSリーダー」への登録をお薦めいたします



§ 冤罪事件が起きる理由


 有罪立証の根幹をなす資料が証拠採用されなかった以上、「無罪判決」以外に出ようのない事件であり裁判だった。
 
 だが、日本は長きにわたって裁判所ですら検察の主張を「鵜呑み」にしてきた経緯があった。
 
 だから、実際に「無罪判決」が言い渡されるまで、我々は固唾を呑んで見守ってきたと言える。
 
 そして、実際に裁判長から「無罪」が言い渡された。
 
 正気に戻っている国民は、検察の暴走が「正しく」裁判所によって止められた事にホッとしている。
 
 
 しかし、だからこそ今まで何故「冤罪」を生み出す裁判があったのか?を考える必要がある。
 
 
 その理由は極めて「人間」的理由によると私は思っている。
  
 要するに「怖い」のである。
 
 自分のした判断が誤っていたらどうしよう?という恐れだ。
 
 警察や検察が多くの人員を動かして「罪あり!」と言ってきたモノを、「こんなもん、罪とすべき証拠にはならんわぃ!」とはね付ける「勇気」はなかなかに発揮しづらい。
 
 また、弁護士の方も最初から逃げ腰の人も居て、強力に否定してくれない場合もあったかも知れない。
 
 そうした状況の中で、裁判所としては検察の主張に「寄り添いたくなる」のだ。
 
 つまり「日和る」わけである。
 
 
 これはいわゆる「官僚主導」と「政治主導」の違い、「メディア謹製世論」と「国民の代表としての判断」の違いに似ているのである。
 
 
 ・・・・  ・・・・   ・・・・   ・・・・   ・・・・  ・・・・   ・・・・
 
 
§ 「官僚主導」と「政治主導」の違い
 
 
 裁判所が検察主張に迎合していって冤罪を生み出していく経緯と日本の政治が「官僚主導」になってきた経緯はとてもよく似ている。
 
 つまり政治主導から官僚主導になっていくのは「政治的決断が出来ないから」だ。
 
 今、菅政権は詭弁を用いて「政治主導を行っている」と言い張っているが、それは目くらましである。
 
 それは代表選立会演説で如実に表れていた。
 
 現職の総理大臣である菅直人は、何一つ未来に向かっての「政治的決断」を示さなかった事に現れている。
 
 ごく最近になって小沢氏の主張を取り入れて「雇用拡大に貢献したら優遇税制がうけられる」と言う様な事を言い始め…
 
 更には知事会からの質問状に対して、地方と国の税配分を明確について菅直人は最初は「明確にリーダーシップを発揮する」等と意味不明なリーダーシップを発揮し、対して、小沢氏が5対5と言うと、今度は現状6対4なのを「逆転させる」と言い出した。
 
 こんな「その場で他人の発言を丸呑みする形の発言」をしたのは、あの参議院選挙での構図と同じである。
 
 つまり、己に明確な政権運営像がないので、日和るのだ。
 
 
 ・・・・  ・・・・   ・・・・   ・・・・   ・・・・  ・・・・   ・・・・
 
 
§ 裁判官は孤独


 小沢氏は己の信ずるところを明確に述べる「政治的決断力」があり、彼を支える仲間もいる。だから、代表選の最初から明確に言及する事が出来た。
 
 だが、菅直人にはそんなものはない。
 
 並み居る大臣達は菅直人を「担ぎやすい御輿」として利用しているだけで、菅直人個人への忠誠心もなければ、己の信ずるところの政治もない。
 
 ただの烏合の衆が数を頼んで奇声を上げているに過ぎない。
 
 だから「その場限り」の様な言葉で逃げ切りを図ろうとする。
  
 
 裁判官は「政治家」ではないので、この事件を「乗り切ればいい」としても、彼らの周囲や背後には誰もいない。
 
 最高裁の様に調査官(事実上の裁判官と言われる)も居ない。

 菅直人の様に、官僚に日和る仲間達が居ないのだ。
 
 そうした孤独の中で、彼らは「裁定」するのである。
 
 そういう時に「メディア謹製世論」が「あいつは金に汚い政治家だ」とか一色で騒いでいたら、さあどうなる?
 
 
 村木氏の裁判では、検察の捜査・取り調べの実体はあまりに酷かった。
  
 今でこそマスコミはなんだか村木氏に同情的な論調を醸し出した記事を書いているが、それまではどんな記事を書いていたか?
 
 そういう「メディア謹製世論」にも揺るがない「良心」で裁定を下さなければならないのが裁判官なのだ。
 
 
 ・・・・  ・・・・   ・・・・   ・・・・   ・・・・  ・・・・   ・・・・
 
 
§ 単なる「ラッキー」でしか無罪が勝ち取れない世の中の「異常さ」
 
 
 「政治家とつるんで不正を犯した官僚だ」という構図で起訴された村木氏。

 彼女は折れなかった。
 
 それは巻き込まれる人々が、企業の経営者などの「守るべきものが多い人」ではなかった事も一因である様に思う。
 
 
 被疑者・被告人が密室の取調室でどういう扱いを受けたか?
 
 それは、志布志事件でもこの事件でも、鈴木宗男氏や佐藤栄佐久元福島県知事等の事件でもあまりに酷い実情が報告されている。
 
 近親者は無論の事、周りの人々が「自白強要」という圧力の中で心が折られていく。
 
 身体を悪くする人のみならず、自殺未遂までする人まで現れれる。
 
 そういう状況を聞けば、本人が自分に罪が無くても折れる場合がある。
 
 
 村木氏は周囲にそうした多くの他人を巻き込まずに済んで、己自身の信念で闘えたという点で(とはいえ、それでも多くの人が聴取されたであろう事は想像に難くないが)ラッキーであったと強く思う。
 
  
 だが、こうした無罪がラッキーでしか勝ち取れないというのは「異常」である。
 
 証拠による有罪立証ではなく、心を折らせ、人格を蹂躙し、その人の周囲の人間へ害悪を及ぼすという脅迫によって「自白」を迫る。
 
 「自白」というが、実際は「検察の描いたストーリーを肯定させる」という事に過ぎない。
 
 それに「孤独にさせられた一個人」が闘っていくのは全く至難の業なのである。
 
 その事を、国民は知り、「明日は我が身」である事を感じる…
 
 それが「治者と被治者の自同性」の具現である「民主主義」なのである。
 
 
 ・・・・  ・・・・   ・・・・   ・・・・   ・・・・  ・・・・   ・・・・
 
 
§ 有効か否かは「やった後」で論じろ
 
 
 検察による人権侵害を防ぐ手法として「全面可視化」が有効な手段かどうかは分からない。
 
 だが、そうした事前の議論よりも兎に角「人権保障の為にやってみる」事は絶対に必要である。
 
 効果は実験しなければ分からない。
 
 やりもしないで「出来ない理由」を並べている間にも、今も人権侵害状態は続くというのは、日本社会の平穏を乱す。
 
 また、罪となるべき事実が無い、或いはそうした証拠が無いという事は「責めるべき理由がない事だ」という事を、我々は理解せねばならない。
 
 神ならぬ人としての限界を知り、謙虚にならねば、散々罪人呼ばわりする記事を拡散して恥知らずなマスコミの様になってしまう。
 
 そうした人間を(1人、2人は雑菌として居ても良いが)見なくても済む様な社会が実現する事は必要だろう。
 
 この事件は、そうした事を国民に気付かせる契機になったと思いたい。

 
  
      
注)『当プログに対するコメント投稿上の注意

スポンサーサイト

Comment:
Add a comment:









Trackback:
http://athlon1hz.jugem.jp/trackback/1579