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JR西日本前社長の無罪判決について

JUGEMテーマ:ニュース


◎ 福知山線事故でJR西日本前社長に無罪判決…神戸地裁

 兵庫県尼崎市で2005年4月、乗客106人が死亡したJR福知山線脱線事故で、業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本の山崎正夫・前社長(68)の判決が11日、神戸地裁であった。運行に直接関与しない鉄道会社幹部の責任が問えるかどうかが焦点だったが、岡田信(まこと)裁判長は「現場の危険性を被告が認識していたとは言えず、自動列車停止装置(ATS)整備を指示するほどの予見可能性は認められない」として無罪(求刑・禁錮3年)を言い渡した。

 事故は快速電車が制限速度を45キロ上回る時速約115キロで急カーブに進入して発生。JR西は1996年12月、東西線と福知山線の乗り入れを円滑にするため現場カーブを半径600メートルから半径304メートルに付け替えた。当時、山崎被告は安全対策の実質的な最高責任者の鉄道本部長だった。

 裁判では、山崎被告が事故の危険性を認識できたか(予見可能性)、列車が速度超過の場合に自動的に非常ブレーキをかけるATSの整備を指示すべきだったか(結果回避義務)が主な争点だった。

 岡田裁判長は、当時カーブにATS整備を義務づける法令の規定はなく、304メートル以下のカーブはかなりの数が存在することを指摘。工事の完成直前に起きたJR函館線の急カーブでの脱線事故も、検察側が予見可能性を裏付ける事実の一つとしていたが、岡田裁判長は「貨物列車の事故で様相が違う」と退け、「被告が現場の危険性を認識していたと認める証拠はなく、容易に認識できたとも言えない」と述べた。
 
 
読売新聞 平成23年1月11日 より全文引用



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 JR福知山線脱線事故による業務上過失致死傷罪事件で、「予見可能性」「結果回避義務」が争点だったが、「予見可能性」自体を否定される事で無罪判決となった様だ。
 
 ここで問題となるのは裁判長のこの文言だろう。
 
 「当時カーブにATS整備を義務づける法令の規定はなく」
 

 この文言からすれば、法令の義務づけがないから304メートル以下のカーブがかなりの数存在している事は是認され、かつATSの整備が無くても「問題ない」という認識だった事も容認される…という事になりはしないか?
 
 これがもし妥当な判断だとすると「法令による義務づけが無ければ安全対策はしなくても良いし、その結果事故が起きても責任は問われない」という事になる。
 
 無論、「際限なく安全に関して責任を負う」というのは妥当とは言えない。
 
 確かに道路には急カーブが存在し、運転者が気をつけるべき速度があり、その速度を守らなかったからといって道路管理者が責任を問われるという事はあまりないだろう。 
 
 ただ、急カーブになる事が分かりづらい道路において、急カーブの存在を告知する看板を設置していない等の注意喚起を怠っていたならば、問題になりうる。
 


 そこで、事故が起きたカーブにおいて看板は設置されていたか?と言えば、「70キロの制限速度標識」が設置されていたという。
 
 少なくとも「危険」であるとの認識はあったと思われるが、それを設置した元社員は元社員は法廷で
 
「危険性の認識はなかった」と言い切った。理由として挙げた「訓練を受けたプロの運転士が制限速度を守るのが前提」という考えは、「被告は列車が大幅な速度超過で脱線することを予見できなかった」(毎日新聞 2012年1月8日)

 
 と証言したという。


 基本的に運転免許・資格を持つ者を「プロ」と呼び「プロの運転士が制限速度を守るのが前提」という事で予見可能性が否定されるならば、およそ世の中における交通事故等は起きないものと思われるが、…しかし、現実は起こっている。

 ヒューマンエラーが「起きない前提」が妥当するならば、世の中「安全対策」など不要と言うべきではないか?
 
 そうした前提に立って「予見可能性」を考えれば、今回の事故は「想定外だった」という事になるが、それはあまりにハードルが低すぎるとういべきではないか?

 
 だが、私がフォローする信頼する弁護士の方々は、この判決を「妥当」と考えている様だ。
  
 ただそうなると、「あいつだけがおかしな事をやった」という認識で終わるのだろうか?
  
 仮にそうだとすると、今、ATSの設置が義務づけられたことはどう説明されるのだろうか?
 
 事故が起きたという「事実」を引き起こしたのが「運転手」だったとしても、ではその「運転手」は誰が選び、委ねるのか?


 
 「責任」という言葉を拡大し続ければ、悪名高い「連座制」に限りなく近づいていくので、それは良くないことであることは誰にでも分かる。
 
 だが、今回の事件は本当にそういう事だろうか?
 
 
 今一スッキリと落ちてこない。
 
 それは今小沢氏に向けられている粘着系ゴネリスト達の迂闊で粗暴な批判と同じ事をやっている事になるのだろうか?
 
 
 私はこの判決を聞いても、まだ結論づける事が出来ない。

  
 
<追加記事 1/13>  

 江川紹子氏はラジオ(通称”ソコトコ”−吉田照美のソコだいじなとこ)で福知山事故裁判無罪判決についてコメント。

起訴段階から無理筋ではないかという声もあった。山崎被告は事故当時はJR西にはおらず、検察も自信がなかった。何故起訴したのかというとマスコミ世論がプレッシャーになった。これでいいのか?


 …という趣旨。


山崎社長の略歴はウィキペディアによると(事故の日時は私が挿入)

1987年4月 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道株式会社入社。同社新幹線運行本部運輸部長。
1992年6月 - 同社 福岡支社長、TiS本部福岡営業支店長。
1996年6月 - 同社 常務取締役鉄道本部長。
1998年10月 - 株式会社ジェイアール西日本メンテック代表取締役副社長就任。
2005年4月25日 JR福知山線脱線事故
2005年6月 - 西日本旅客鉄道 代表取締役副社長 総合企画本部長も兼任。
2006年2月 - 同社 代表取締役社長 兼 執行役員就任。


 確かに事故当時はJR西日本にいなかった。

 なので検察やマスコミが問うたのは「1996年6月 - 同社 常務取締役鉄道本部長」における経歴…即ち、事故が起きた路線のカーブがきつくなった当時の安全担当者であった山崎氏の責任を問う…という形だった。

 検察やマスコミ、私の理屈で考えると、山崎氏を起訴するのであれば、事故当時の鉄道本部長、工事が設計された当時の鉄道本部長も起訴すべきである…という理屈もあったという事になる。

 それは、安全対策が「その設計・施工・竣工・運用当時」のどの時点で…というスポット的なものでは無いはず…という理屈による。

 しかし、あの事故の責任を象徴的に山崎氏の責任として報じたマスコミは、そこまでは言っていなかった様に思われる。

 また、ここでは認可した側の国の責任は問われていない。安全対策に関する法令は「最低限遵守されるべきもの」であって「それさえ守っていればよし」という様な免罪符ではない筈なので、問われなかったと言いうる。(無論、責任をとらせる方向もあっただろう)

 となると、寧ろ、「今まであの様なきついカーブのところでは事故が起きてなかった。だから予見可能性はない」と言うことがあって良いものか?という事について、裁判は何も応えていない事になろう。

 この理屈をとると、安全対策は常に後回しになり「事故が起きてからやればよい」という事になりはしないだろうか?

 公共交通機関における過失責任の「妥当なとられ方」を、日本社会はまだ模索中である…という事は確かである。






 
 
                    
注)『当プログに対するコメント投稿上の注意 

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