スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

<< 【権力ポチ報道】嘘の可視化報道 | main | 3.11以後の大飯町「原発再稼働容認」の意味 >>

「何か」を売った人々の選択と末路 〜御前崎市長選〜

JUGEMテーマ:ニュース


◎ <御前崎市長選>「脱原発、生活苦しい」現実路線を選択


 中部電力浜岡原発の再稼働問題が争点となった15日の静岡県御前崎市長選は、再稼働の是非について態度を保留してきた現職の石原茂雄氏(64)が3選を果たした。石原氏に投票した有権者は「原発がないと地域経済が苦しくなる」と口々に訴えた。

 同市池新田の投票所に足を運んだ50代の男性会社員は「(想定される津波高の)21メートルなんて、学者や国の人は言うけどどこまで根拠があるのか。原発反対派の人は、原発で働いている人の生活がどうなるのか考えてほしい」と話した。40代の男性会社員も「原発はこの町に必要。ないと経済的に大変厳しくなる」と訴えた。

 これに対し、小学生の子ども2人がいる30代の主婦は石原氏に投票せず、「地元経済も大事だが、地震が起きて住めなくなったり健康被害が出るほうが怖い」と語った。

 石原氏は当選について「批判票というものも重く受け止めるつもりでいる。選挙が終わったので、御前崎の一体化をしっかりやっていきたい。しこりは残したくない」と述べた。21メートルの津波想定については「国から根拠をしっかりと聞かせてもらいたい。21メートルが独り歩きしてしまうことは街づくりにも影響する」と語り、中部電力の対応については「(防波壁の建設を)海抜高18メートルでやっている中で、今になって21メートルと言われても、後出しじゃんけんのようなもの。中部電力と話をして行く中で、対策を取ってもらうしかないだろうと思う」と話した。

 福島第1原発事故以降も、原発を抱える自治体の首長選では、脱原発にまでは踏み込まない現職に対して、脱原発などを掲げる新人が敗れるケースが続くが、今回もその傾向は変わらなかった。【平塚雄太、沢田均、山本佳孝】

毎日新聞 平成24年4月16日 より全文引用
  
 
意図せずしてこのブログに来た方へ

警告!

☆更新は不定期な為「RSSリーダー」への登録をお薦めいたします



 御前崎市長選での市民の選択を「現実路線」等と評する毎日新聞だが「現実」の対語が「幻想」だとすれば、私がこの記事にコピーを付けるならば「幻想路線」或いは「希望的観測路線」とする。
 
 福島第一原発事故によって福島の自治体は「幻想」とも言うべき「安全神話」によって踊らされ、現実には生活する「場所」すら失われたのである。
 
 そして…
 
 今回の福島第一原発事故に関して「風評被害による(私は実害と思っている)」と言われている「住民差別」が実数は定かではないものの「あった」とされた。
 
 3.11「以前」でこれである。

 しかし、「以後」である浜岡再稼働において福島と同じ様な事が起きたならば、御前崎市民は「差別」どころか「迫害」されよう。
 
 何故なら「幻想から目覚めた後」であり、かつその「被害が御前崎だけに留まる訳がない」事を知っていて「己の事情のためだけ」に「再稼働の決断をした」という事になるからである。
 
 そう。その時の御前崎市民は「軽過失(≒善意)」などではなく明らかに「故意(悪意)のある決断をした御前崎市民」なのである。
 
 「未必的加害の故意」のある人間。
 
 刑法的に言えば「殺人予備」とまでは行かないにせよ、一般市民とは同列には扱えない。
 
  
 こういう人々は、原発事故が起きていない今の段階でも、私にとって「差別」する対象である。
 
 そしてそれは「合理的区別」であると思っている。
 
 
 ちなみに、浜岡が福島並みの事を起こせば、東京、横浜、名古屋という日本の枢要な経済圏は完全に終わるので、日本が終わる。
 
 無論、御前崎市民を救う余力など到底ないし、それどころか彼らの財物を一切合切取り上げても浜岡の被害を償うには全く足りない。
 
 つまり、御前崎市民は原発事故があっても「賠償および金銭補償は受け取れない」と言うべきなのである。

 それどころか「自業自得だ!」と大いに罵倒され「こっちに来るな」と唾を吐きかけられ、殺されないで済めば「御の字」と考えるべきなのである。
 
  
 
 
 では、今の御前崎市民は何を目指すべきなのか?
 
 
 
 原発は止まっていても危険なモノには変わりなく、廃炉されて燃料・使用済み燃料ともども安全に保管される迄は「防潮堤」は必要になる。
 
 だから防潮堤建設はやむを得まい。
 
 しかし、それだけでは生活はできまい。
 
 となれば、御前崎市民は浜岡再稼働などではなく、国に対して(国民に対して)正当な仕事を得る間の補償を求め、原発に頼らないで生活できる基盤を作っていくのが先決である。 
 
 無論、それは今でも遅くはない。
 
 
 しかし、再稼働に前のめりになっている政権・国ではその要求は通らないかも知れない。
 
 だが、そういう「主張」のない連中には「原発に頼り切ることしか考えていない」と見なされ、とても同情されるべき理由はない。
 
 
 福島第一原発事故では福島県民、とりわけ飯舘村民には同情が向けられた。
 
 だが、御前崎市民の場合はそうは行かないだろう。
 
 少なくとも愛知、山梨、神奈川等の近県も「故無き被害者(中部電力を除く)」となっていて、御前崎市民に対して憎悪の念をもって接するに違いない。
 
 それでも原発を再稼働するというのなら、言葉通りの「命がけ」でやってもらおう。
 
 無論、「その後」の核廃棄物は御前崎市の中で処理して貰う。
 
 
 その理は玄海だろうが伊方だろうが志賀だろうが泊だろうが変わらない。
  
 
 
   
                  
注)『当プログに対するコメント投稿上の注意

スポンサーサイト

Comment:
Add a comment:









Trackback:
http://athlon1hz.jugem.jp/trackback/1775