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芸者 曽野綾子への皮肉

JUGEMテーマ:芸能


芸者 曽野綾子

北国新聞 平成24年11月25日 より全文引用

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 在特会−
 
 在日韓国・朝鮮人が日本で不当な特権(在日特権)を得ていると主張し、その撤廃を目標に掲げている。またこれ以外にも様々な保守的スローガンを掲げ、各地で街宣・デモ・集会などを開催している。(ウィキペディアより)
 
 曽野綾子の記事を読んでふと頭に浮かんだのがこの在特会である。
 
 在特会のおかしさは、日本で最も不当な特権を得ている「在日米軍」を相手にせず、さほど「特権」と言えるようなものが無い様に思える在日韓国・朝鮮人「だけ」を標的にしている点である。
 
 彼らは結局「権威に媚びているだけではないか」という疑念が沸くが、同時にこうも感じたのである。
 
 要するに「存在価値を認めろというデモンストレーションの会」であり、いわば「芸者」であろうと。
 
 
 曽野綾子の記事とどう繋がるか?
 
 そこに合理的な説明はつけられない。
 
 ただ、そういう感想と「繋がった」と感じた部分はある。
 
 「私がずっと言い続けてきた問題点は」というところである。
 
 曽野本人が「芸者」である事を自覚しているかどうかは知らないが、少なくとも「他人の口を借りて敵を攻撃する」時の常套手段としている北國新聞などのマスゴミは曽野を「芸者」として「使える」と思った「点」であろう…と。
 
 しかも、北國新聞の「罪悪」である、無罪判決前の数年にわたる「有罪前提」での辞任要求記事を見事にスルーして話をすり替えてくれる好都合な記事…
 
 それがこの曽野の記事である。
 
 
 報道機関といいつつ自力での調査報道はせず、実際は検察・警察などから情報をもらって横書きを縦書きにする程度の事しかやっていない縦書き業者−北國新聞が「知る権利」と「報道の自由」「編集権」等と言っては平気で人権を踏みにじってきた事への批判を「一切しない」でさりげなく話を逸らして救ってくれる「芸者」…
 
 それが曽野綾子である。
 
 
 曽野本人は「芸者」である事を否定するだろう。
 
 「私がずっと言い続けてきた問題点である」という事を早い段階で宣言しているのはそのためであろう。
 
 では、「芸者」としてではない…という前提で多くの面を割いて掲載された「記事」の内容を見てみたらどうか?
 
 およそ私(人)を馬鹿にしている内容である。
 
 まず私は一国民として曽野に「国民の代弁者」たるを許した覚えはない。
 
 第二に、曽野の求める政治家像なんぞ、あまりに薄っぺらすぎてとても支持できない。

 大根一本がどうしたこうしたというあまりにも卑近かつ具体的庶民性なんぞの偽装を「国民の代表」に求める政治家像の貧困さもさることながら、…

 小沢事件に代表される政治的謀略事件をあっさり流してしまうこの「迂闊さ」こそ「芸者」として採用された根拠であり、かつそれこそが私が最も嫌う「迂闊さ」である。

 
 この小沢事件こそは民意を受けた政治家をこの様な形で葬り去るという「国民に対する反逆事件」である。

 しかし曽野はそのことを「下世話に納得させられなかった小沢が悪い」と言って悪人の跋扈を「是」としする。

 彼女は民主主義の否定者であり、なによりも「私」という国民を馬鹿にしているとしか言いようがない。


 
 お前の求めている「表現力」とやらは「馬鹿な国民を手なずける口八丁力」でしかない。
 
 何故国民に「賢くなれ」とは言えないのか?
 
 それはお前が馬鹿すぎて「芸者」に使われているのが気づかないくらいだからしょうがないのかも知れない。

 だが、いい年してこのくだらなさはもはや「犯罪」であろう。
  
 
 
 私はこの事件のいかがわしさを、報道され初めて早い段階で指摘してきた人間である。

 そのことは、このブログが証明している。
 
 お前のようなおかしな「客観的証明」(内実は口八丁のうまさで客観性を偽装する事に他ならないが)なんかどうでもよい。
 
 「敵」として登場した北國新聞等のマスゴミや、検察の側が完全に「小沢に敵対的利害関係者という意味での客観」をもってしても自滅・敗北しているという「事実」と、それ以前・それ以後ともにマスゴミには一切の反省が無く、そんな小説なんぞ全く意味がないことを証明しているのである。
 
 そう。貴方という「芸者」を利用しているのもその証左なのだ。
 
 
 そういう連中のご都合主義を棚に上げて、曽野は何を今更ほざいているのか?
 
 
 かつて小沢氏は、金の計算に血道を上げ、収支がどうなっているのか気になってしかたがない政治「屋」であるかの如く北國新聞などのマスゴミは伝えてきた。
 
 だが、小沢氏は「豪腕」と言われるほどの人物である。 
 
 実際の小沢氏は金の計算に忙しい庶民を偽装するほど暇ではなかった。
 
 それは結局、「敵」ともいえる特捜検察が検察審査会に捜査報告書に嘘を書いてまで「虚像」をすり込んだことで明白となっている。
 


 政策を練り、実行に移す場合の或いは外国の要人に率直にもの申し、謀略好きの米国の標的になったという意味では「まさに日本のために使える政治家」である事を「敵」が証明しているのである。
 
 そう。
 
 彼の言う世界が「実際に実現する見込みがある」「それによって自分たちの都合の良い日本が居なくなるという恐怖」を見させたのだ。
 
 曽野の政治家像は「外面をきれいに見せる狡猾さ」の上に、急に何段もステージを上げて「全人的な資質」を…ぶっちゃけ「キャラ作り」して他者を騙せる人間だという。
 
 そんな気持ち悪い人間がいいのか?
 
 
 居るとすれば、恐らく曽野の小説の中に出てくる人間か「作られたアイドル」と同様、マスゴミに作られた「都合の良く作られた政治家」であろう。
 
 或いは、政治家として著名で、成功例として数えられている人物を曽野的に解釈したらそうなったのかも知れない。
 
 確かに…あの石破ですら人気があるというのだから、曽野が好みそうな政治家は作ろうと思えば作られるだろう。
 
 だが、…
 
 そんな人間と「人間として」話を聞いて貰いたいと思えるかどうか?
 
 少なくとも今、民主党政治家と何かを「約束」して「守られる」と思う迂闊な馬鹿は居ないだろう。
 
 
 人権侵害国家として評判の悪い中国の新国家主席の習ですら就任時には国民が問題とする点を「改善する」と宣言して民意に応えようとしている。

 それこそが普通の政治家だ。
 
 だが、この国を実質主導している民主・自民・公明などは、脱原発や消費税増税などの争点を隠そうと必死になってプロレスをやって目を逸らさせようとしている。
 
 どっちが民主国家か?
 
 そんななかで何故曽野の小沢批判の記事が北國新聞に載ったか?
 
 答えは曽野に聞く必要はない。
 
 
 曽野的文化人の言説にひれ伏す時代はとっくに過ぎ去った。
 
 特に3.11以降は、玉石の見分け方は容易になった。
 
 話を小さなところに逸らして大きな問題点を顧みない人間の話など、参考にしない。
 
 だから曽野という「芸者」に「表現力」…いや、「この時代に共感を呼ぶ力」は無い。
 
 
 それがこの北國新聞の記事を見ての「皮肉」である。



 
  
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