スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

<< そんなに自民党がいいか? | main | 日本がアメリカ化するという事 >>

亡国の靖国神社参拝

全閣僚が靖国参拝見送り 「終戦記念日」異常な事態

 安倍内閣の16閣僚全員が、終戦記念日の15日に靖国神社に参拝しない意向であることが明らかになった。終戦記念日に閣僚が大量参拝するようになった昭和30年ごろ以降、参拝者がゼロとなる年はおそらく初めてという異常事態だ。参拝を見送る理由は日程上の都合や政治信条などそれぞれだが、中国などへの配慮もうかがえることから「なんて意気地がないんだ」(島村宜伸元農水相)とあきれる声も出ている。(阿比留瑠比)

(略)

産経新聞 平成19年8月12日 より引用


着色アンダーライン太字等はあすろん1へるつによる



 そもそも政治の場は、生の己の主張・信条を表現する場ではない。

 己の個人的な主張・信条で国を総裁出来るのは、独裁国家であって、民主主義国家の在りようではない。
 
 その意味で、己の主張・信条を矯(た)めて靖国神社へ参拝する事を控えている安倍晋三は、国家の指導者として妥当な決断をしたと「この点だけは」私は評価した。
 
 何故か?
 
  
 ・・・・・    ・・・・・  ・・・・・   ・・・・・  ・・・・・    ・・・・・
 
 
 総理大臣とはどういう職責を担って居るか?・・・という事を理解しようとする気が無い方は、一生思考停止したままであろう。
 
 総理大臣とは「国を代表する」のである。
 
 では「国」とは何か?
 
 民主主義国家では「市民一人一人が国なのだ。
 
 
 その点、小泉−安倍自民党の考えている「国」とは随分違う。
 
 彼らは「国は、己の意見を支持する人々の為だけのモノ」なのだ。
 
 だから、多数を握った者の声「だけ」を「是」とする「数だけの多数決主義」を推進したのだ。
 
 
 例えば・・・、
 
1.Aという主張をする者とBという主張をする者が居るとする。
 
2.Aの意見を支持する者がBの意見を支持する者より一人多い。 


 この様な場合に、与党を構成するAがその主導権を発揮してBから対案を出されても審議もせずにいきなり採決を行い(強行採決)、A案を可決・成立させる事は、確かに現行法制では可能だ。
 
 多数派である事を殊更利用して強行採決するという事は、51対50の関係にあった場合に50人の意見を殺す事を意味する。
 
 小泉−安倍と続いた自民・公明政権は、50を殺し続けてきた
 
 だから、彼らは「制度的」には日本国の総理大臣として日本を代表しているが、「実質的」には「自民・公明(51)を代表」していたに過ぎない。
 
 日本国の民意(総意)を代表しているとは言えない総理大臣・・・それが現・安倍晋三総理大臣なのだ。
  
 従って、国の意見を割れたままにして、己の考え方に近い意見だけで日本国を運営するというのは、民主主義国家日本から言えば、(右翼的に言えば)極めて反日的なのである。
 
 その反日的行為こそかつての大日本帝国がそうであった様に我が民主主義国家 日本国を滅ぼすのである。
 
 
 ・・・・・    ・・・・・  ・・・・・   ・・・・・  ・・・・・    ・・・・・
 
  
 安倍晋三や彼を支持する自民・公明等や産経新聞では、民主主義の尊さはまばゆすぎて到底理解できないシロモノであるに違いない。
 
 己が参議院選挙で大敗して逆の立場になった途端に「大人の対応を」等とほざくのは、己のやってきた事を棚に上げた自己中心的かつ身勝手な論理である事にも気付かない阿呆なのである。
 
 民主党が自民党程度の政党ならば、多数派を握ったならば自民党の意見を自民党がやってきた様に黙殺しつづけても、与党は文句を言えないのが「筋」。
 
 だが、与党は恥知らずであるから間違いなく言うであろう。 
 
 「俺はやっても許されるが、お前はやっちゃいかん」と。
 
 その理由は「お前はお前自身がそれを非難していたではないか。」と。
 
 泥棒の居直りと同じくする馬鹿げた論理構成。
 
 その集大成が、安倍晋三の内閣総理大臣「続投」であるのは言うまでもない。
 
 
 ・・・・・    ・・・・・  ・・・・・   ・・・・・  ・・・・・    ・・・・・
 
 
 今回、この記事にあるように「本当に」靖国神社へ閣僚達が参拝しないかどうかは分からない。
 
 安倍晋三は「行かないとは一言も言っていない」と、例の消費税増税に言及した時のような言い回し方をして行く可能性だってあるからだ。
 
 
 そうなれば、国民を騙そうが何をしようが己の意見に近い事をすれば「筋」なんかどうでもよい一部のお馬鹿さん達は大喜びするであろう。
 
 だが、そういう彼らの行為は「国民の総意」ではない。
 

 SPも付けずに内閣総理大臣の肩書きを付けないで一市民として行くのなら私に文句はない
 
 安倍晋三やその他閣僚共の個人的宗教的信条を妨げる理由はないからだ。
 
 だが、「内閣」の一員としてまるで日本国の「総意」を携えて靖国神社に参拝する等という身勝手は許さない。
 
 何故なら、少なくとも私はそれを内閣に託した覚えがないからだ。
 
 
 靖国神社に鎮座する神々が、そういう独善的・偽善的な虚構・虚勢を見抜けないとでも思っているのか?
 
 見抜けるとすれば、神々はその欺瞞を悲しむであろう。
 
 見抜けないとすれば、それは神などではなく、ただの悪霊であろう。
 
 悪霊に礼拝する事を強要する者は、かつてオウムと変わらない。

 それでも行かせたいか?
 
 
      
注)『当ブログの投稿ポリシー

スポンサーサイト

Comment:
Add a comment:









Trackback:
http://athlon1hz.jugem.jp/trackback/584